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2011/02/15

人材は誰が育成するのか? 職業教育の重要性

 『世界』(2011年3月号)では、「超氷河期」の雇用と就活の特集を組み、何本かの論考が掲載されている。そのなかで、比較的に時代の捉え方のセンサーが合ったのが、ノンフィクション作家・稲泉連氏とトライアンフ代表・樋口弘和氏による対談「企業と個人の新たな関係」だった。
 1980年代半ばからの企業の雰囲気を体感している私からも、まず樋口氏の発言にある、「一言で説明すると、起業に余裕がなくなって、できるだけ入社したその日から稼いでくれと、いわばせこい考え方に変化してきています」には同感できる。最近はこのように、人材を育成しようという企業が少なくなった思いを強くする。
 バブル期のように売り手市場の雇用環境下では、企業は競って福利厚生の充実に力を注いだし、人材育成にも熱心だった。要するにせっかく掴まえた人材を逃さないためにも、それは必須だった。ただ、反面、当時の人材育成は、その企業独自のアイデンティティに染め上げるための、いわば過剰同調を迫るものであって、他社に通用するかというと、疑問が残る手合いも多かったように思う。景気が良いこともあって、嫌気がさしたらすぐさま転職も容易だったわけだが…。
 現在の超氷河期が悲惨なのは、就職前にも幸い就職後にも、なんらまともな職業教育を受ける機会がなく、就職戦線に放り込まれることに尽きる。つまり即戦力でないにもかかわらず、即戦力を欲しがる企業に就職を働きかけなければならないのだから、無理はない。
 本来は、ワーキングプアを生まずに済むように、悪質かつ無能な経営者に退場してもらうためにも、人材育成に疎かな企業は淘汰されるべきだろう。だが、そうした企業で働く人たちを保護する意味でも、適切な職業教育を受けた人たちが就職し、企業内改革を行う道もあると思う。これからの職業教育は、スキルを身につけるだけではなく、人材育成に意欲的な企業であるかどうかを見抜く選択眼を養うトレーニングも必要だろう。その役割を、当面は遅れた企業の外にある行政や教育機関を含めた社会全体で担っていくしかないと考えている。

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