« スギッチ~八郎潟~水中写真 | トップページ | スギッチをしのぐ定九郎と与一兵衛 »

2006/11/08

世界史の必要性を考えてみる契機に

 自分の歴史認識を語らず、歴史認識は歴史家に任せるといってはばからない人物に首相を任しているこの国で、世界史が高校の学習指導要領で必須科目となっていたのは、なんとも皮肉な事実だ。むろん歴史認識は必要、世界史を学んで損はないのだが、自分の経験でも高校の世界史という科目を面白いと思ったことはなかった。
 歴史認識というのは、もっと体験的、時間限定的、局所的でなければ、身に付かないのではないかと思う。ハードボイルド作家の船戸与一氏は、大学生になるまで一冊も本を読まなかったそうだ。それが、ひょんなことから遠洋漁業の船に乗り込む生活の中で本漬けの毎日を送り、各国の歴史事情に精通することになったという。船戸氏が豊浦志朗のペンネームで初期に著した『叛アメリカ史』は優れた米国の裏面史だと思うが、こうした船戸史観は他の小説にも随所に顔を出していて、世界史副読本としても楽しめる。別に『ゴルゴ13』で国際政治を学んだ気分になってもいいのだが、所詮マンガはマンガ。どうしても掘り下げが浅い。
 たとえば、戦跡を辿る戦争史の旅、美術館・博物館を巡る美術史・文化史の旅、そんな経験を踏むことの方がよほど世界史の学習になる気がする。あえていえば、今回の未履修の補習方法もそんな手があってもいい気がするのだが・・・。

|

« スギッチ~八郎潟~水中写真 | トップページ | スギッチをしのぐ定九郎と与一兵衛 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/84238/12610709

この記事へのトラックバック一覧です: 世界史の必要性を考えてみる契機に:

« スギッチ~八郎潟~水中写真 | トップページ | スギッチをしのぐ定九郎と与一兵衛 »