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2006/04/28

嫌韓・嫌中だけか?

高原基彰氏の『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書y)を読んだ。氏の主張は、次の箇所に要約される。「雇用不安を背景にした政治的な異議申し立ての動きが、その対象となるべき国内の開発主義のほうではなく、誤った敵を他のアジアに探している」「それが、特に若年層にとっては、利害を異にするはずの自国の成長神話と擬似的な連帯感を抱く原因になっている」―(いずれもP.94)。
その「誤った敵」がイコール「嫌韓・嫌中」ということになるのだろうが、はたして誤った矛先はそこだけか、若年層に顕著な動きか、という違和感を持った。
企業経営者などいわば開発主義の立場にある者の従業員やニートに対する仕打ち、仮装強者や弱者間のイジメに目を転じれば、不安に端を発する歪なナショナリズムだけに留まらない、社会の病理を日頃感じる。
特にネット上での「嫌韓・嫌中」の風潮は、それがいかに不当なものであったも、物理的暴力を伴うレベルに至るのはまれで、その影響力は遠吠えと大差ないといえる。しかし、生活空間で発生する、まさに対面型の敵との出会いは、相互に与える衝撃が一層強いのではなかろうか。それだけに厄介な気がする・

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